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今さらデスノートを観る 


『ヒカルの碁』に引き続き、これまた今さらながら『デスノート』を観ている。レンタル、アニメ版で。
かけひき、心理描写が非常によく出来ているけれど、しかしそれだけで進行しているような気がして。
これって小説向きではないのだろうか。
もちだはむか~しw大学で法律を学び、ゼミは法理学で、卒論が『死刑論』だったので多少興味はあった。
若かったもちだは、トーマス・ホッブスの唱える古典の社会契約説に心酔していたこともあって、人間は放っておけば必ず他人に害をなす存在であると考えていた。
例えば、今この日本が突然、無政府状態になったとしたら、どうなるだろうか?
社会契約により保たれていた法律が消失・無効化し、当然犯罪という概念がなくなるから、粗暴、凶悪、不条理極まりない事件が多数発生する。しかしその時にはそれを裁く法も国家も存在しない。
おそらくそれらに対抗する武装コミュニティが形作られることになるけれど、その際に契約が発生し、『約束ごと=法の原形』が誕生する。
こうして一つの社会契約が失効したあとにも、別の社会契約が成立し、それを永遠に繰り返す。自己保存のために。
デスノートはこうした無政府状態になった時にこそ、最強の武器になり得るが、最強であるがゆえに、きっとその使用を規制する法をも誕生させることになる。
そして、そうなった時には法のもとに管理、執行される死刑の道具としての役割しかなさず、もはや現行の絞首刑のそれと何ら変わりはない。
つまり刑法に『殺人、強盗・強姦殺人およびそれに類似する凶悪犯罪者は、必ず死刑』という一文があれば、夜神月にデスノートはいらなかったことになるのだ。
さらに、この法律に怯えるものは、重犯罪を犯す可能性のあるものだから、反論は一切受付けられない。
…としたら、果たしてどう考えるだろう。
その場合もまた、自己保存の法則にもとづいて行動することになるはず。それがきっとこのストーリーの核心である。

[ 2007/12/29 23:26 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

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